2015年7月アーカイブ

英語の試験と修了ディナー

(最終日に更新できませんでしたので、さかのぼって記載します)
 ついに最終日になりました。午前中は英語クラスの試験のため、学生は市バスに乗車してショッピングセンターへでかけていきました。試験は教室ではなく、街の中で行われます。店員さんに質問して商品を選ぶ、一緒に写真を撮るなど様々な課題が与えられ、クリアすると合格になります。2週間の滞在で話すことに自信をつけている学生達は、すんなりと課題をこなしていたようでした。スポーツ用品点の銃のコーナーでは、生まれてはじめて本物のライフルを手にする姿もありました。

 

 試験が終わるとそのまま自由時間となりました。最終日のため、おみやげを買ったり荷物をまとめたり。夕方6時から、修了ディナーが始まりました。ピアノの生演奏のなか、スクリーンには2週間の思い出の写真が次々にめくられていきます。授業や野外巡検でお世話になったアラスカの方々と同席し、和やかな夕食となりました。途中、全員が一言ずつ、アラスカへの思いを短くスピーチ。その後、一人一人が感謝の言葉を述べました。 修了証を手にして思わず涙ぐんでしまう人もいましたが、それは達成感と主催者への感謝の気持ちからでしょうか。 最後は修了証とハスキー犬のぬいぐるみを手に記念写真を撮合いながら、名残を惜しんでいました。(F,S) 

 




無事帰国しました

 7月19日 夜22時、参加者全員元気に、岡山空港に帰国しました。アラスカのからっとした気候に慣れたためか、飛行機を降りるとき、どこからか蒸し暑いという声が聞こえてきました。
札幌へ戻られる福田先生とはここでお別れです。2015年の環境開発実習の日程はすべて終了です。岡山空港で解散式を行い、名残を惜しみつつ福山へ戻るバスへ乗り込みました。

フェアバンクスの滞在にあたっては、アラスカ大学の皆様、またフェアバンクス在住邦人の皆様に大変お世話になりました。また今回の実習は、保護者の皆様のご協力があってこそ無事に終わらせることができました。この場をお借りして御礼申し上げます。ありがとうございました。(引率代表 澤田)

シアトル空港

昨日の修了証書授与と夕食会のあと学生寮を後にしてフェアバンクス空港へ。
7月18日(現地時間) お昼、シアトル空港でソウル行きの搭乗を待っています。
全員元気です。
この場をおかりして、取り急ぎの報告でした。

 いよいよ滞在はあと2日、お昼から、アラスカを知る最後の巡検先であるチナ温泉へ向かいました。その前にバスはまず、UAFの大型野生動物研究センターへ。本来は7月7日に訪問する予定でしたが、森林火災の煙が濃いため外での活動を中止し、今日に変更した訪問先です。ここでは、ジャコウウシとカリブーを飼育し、繁殖方法などの研究を進めています。解説によると、ジャコウウシは、ロシアがアラスカへ入植した時代(19世紀後半)に毛皮のため乱獲にあい、アラスカから姿を消していましたが、グリーンランドから約30頭の個体が写され、今ではスワード半島を中心に100頭以上が生息しているとのことです。始めてみるジャコウウシの子どもの姿に学生から歓声が上がっていました。



 バスはフェアバンクスから約50マイル(約80km)先のチェナ温泉へ向かいます。チェナ温泉はリゾート地として知られ、オーロラを見に来る日本人観光客にも人気があります。日本人のガイドさんによる日本語の案内を受け、温泉へ。温泉といってもこちらでは水着着用のプールのような施設ですが、誰も泳ぐ人はおらず、日本と同様にリラックスした様子でした。抜けるような青空のもと入る温泉は、きっと思い出に残ったことと思います。併設のアイスミュージアムでは、-5℃の室温に保たれた館内に、氷彫刻の世界チャンピオンが制作する様々な氷の造形が保存されています。どうしても昇華蒸発するので、メンテナンスが大変だとのことです。



 UAFに戻り、大学付属植物園でフェアバンクス地元の方と楽しく夕食。その後、同じく植物園で開かれるブルーグラス(カントリー)のピクニックコンサートを鑑賞しました。フェアバンクスらしいアメリカのカントリーが心地よく響く芝生で、良い思い出をつくることができたことと思います。(S)





フリータイム

 本日は英語の授業終了後からフリータイム。まずは全員で、毎週水、土、日曜に開催されているファーマーズマーケットへでかけました。ファーマーズマーケットでは、地元産の新鮮な野菜のほか、はちみつやジャム、陶磁器など様々なものが販売され、アラスカ産の物が並ぶ点でおみやげ選びに最適な場所です。また軽食の屋台も充実しており、中華やタイ料理には少し懐かしさを覚えます。一昨年のアラスカ滞在時に女子学生の面倒をみていただいたYorikoさんも、手作りの陶芸品の販売をしていました。
 その後のフリータイム、学生たつはそれぞれ充実した時間にできたようです。電話でレストランを予約し、タクシーを呼んで食べに行った人、UAFの学生と仲良くなり、食事にでかけた人、最後の釣りで初めて釣果をあげた人など、帰ってきたときは皆いい笑顔でした。現地の夜10時現在、全員が寮に戻っています。明日は森林火災の影響でいったん中止になった大型野生動物飼育施設を見学した後、チェナ温泉に向かいます。(F,S)

 




オーロラと川下り

 今日の午後は、アラスカ大学名誉教授でオーロラ研究の権威である赤祖父俊一先生による、オーロラの講義を受講しました。一日中明るい今は見ることができませんが、アラスカでは秋以降の夜にオーロラが出現します。なぜオーロラが出現するのか、それは太陽から届く粒子(太陽風)が地球の極地付近に収束する磁場に沿って移動し、大気中の粒子とぶつかる時に発光するからです。高エネルギーの粒子がぶつかって光る現象は、ちょうど昔のテレビに使われたブラウン管と同じ原理です。赤祖父先生は、オーロラの仕組みをわかりやすく、また非常に美しい写真やビデオを含めて紹介してくださいました。久しぶり?の日本語の授業であったためか、いつもにも増して質問が多くでていました。

 


 講義の後はバスに乗って、フェアバンクス市内を流れるチェナ川へ移動。ここから大きなゴムボートに乗り、自分で漕いで川を下るラフティングツアーに参加しました。ほとんどの学生は川下りが初めての経験ですが、パドルを操作して舟を前進させつつ、川からの景色を楽しみました。ゴールの先に待っているのはアラスカ名物料理のサーモン・ベイク。程よく運動して減ったお腹を、たっぷりのサーモンやプライムリブなどアラスカらしい豪快な料理で満たすことができました。
 オーロラ、川下り、そしてサーモンと、アラスカのことをたっぷりと体感できた一日でした。(S)

 

 

午前中の英語クラスの後、午後は徒歩で学内にある寒冷地住宅研究センターへ移動しました。-40℃に達する寒い冬や、夏でも融けない永久凍土がある寒冷地での建築では、熱や下水処理、あるいは永久凍土対策が重要で、その調査研究を行っています。今年が初めてとなる訪問先です。
まず、永久凍土工学の専門家であるScott先生から、アラスカの気候や永久凍土、自然災害と、それに耐えるように設計されたパイプラインについての講義を受けました。鉄製のパイプラインは寒暖の差で伸び縮みするためジグザグに配置されており、また地震を生じる活断層(デナリ断層)を横切るところでは、最大で6m横にずれるのを許容する設計になっています。2002年、実際にデナリ断層が動いたときには5.5mのずれが生じ、ぎりぎりのところで破壊を免れました。日本と同様に地震の多いアラスカでは、地震に対する備えが建築上の重要なポイントになっています。

 


次に、研究者の案内で所内を見学し、寒冷地ならではの住宅の工夫や、研究中の技術について説明を受けました。屋上では太陽熱で水を温めそれを地下タンクに蓄熱して冬季の暖房に使用しています。また一般家庭の下水処理は、永久凍土地域では下水管敷設が難しいので各家で処理しており、そのシステムの開発を行っています。ヒートポンプによる熱利用の実証試験も行なわれています。その他、都市から離れた遠隔地の集落での最適家屋設計指導も行っているとのことです。
寒冷地域ならではの工夫があって、寒いアラスカでも快適に過ごすことができることを実感できた見学でした。(F,S)

 日曜日の本日、午前中はお休みです。午後からはフェアバンクス市内を流れるチェナ川のボートクルーズに出かけました。
vボートといっても、数百名が乗船できる開拓時代の外輪船を模した船です。沿岸にある建物や犬ぞりレーサーの訓練の様子、水上飛行機の離水するデモンストレーションなどを紹介しながら走り、アサバスカンインディアンの集落を再現した場所まで往復するツアーになっています。集落では全員が一度下船して、アサバスカンの伝統的な毛皮の使い方や生活、シャケ漁についての説明を受けました。勉強になる内容ですが、ジョークも交えながら楽しく説明してくれます。

 

 

vボートツアーで楽しんだ後は、英語コミュニケーションの授業を担当されているKim先生のご自宅へ。Kim先生は、昨年に続いて今年も、私たちをホームパーティーに招待してくださりました。森に囲まれた広大な敷地があり、バーベキューをいただきながら話がはずみました。アラスカ流のパーティーのもてなしをいただいたことも、よい経験になったと思います。明日からは通常通りの授業に戻ります。(S)



デナリ国立公園

 学校が休みになる土曜日を使い、デナリ国立公園を見学しました。夏にアラスカを訪れる人が必ず訪れるデナリ国立公園訪問は、今回のハイライトの一つです。朝4時半に集合して、眠い目をこすりながらバスに乗車しました。デナリまで約3時間、不足した睡眠を車内で補いました。
 国立公園の入口でシャトルバスに乗り換え、105km先のアイルソンビジターセンターを目指します。ここでの見学は、例えるならサファリパークに似ていますが。いつどこに動物が現れるかわかりません。もし見つけたら、ドライバーにSTOP!と声をかけることになっています。今年は、メジャーな動物をほぼすべて見ることができました。まずムース、次にグリズリーベアが現れ、奥では多くのカリブーがかくにんできました。運が良かったようです。下には、デナリで学生が撮影した写真から選んだものを掲載しました。

 

左)公園入口のパークセンター(佐竹洸太) 右)森に現れたムース(佐竹祐哉)

 4時間かけてたどりついたアイルソンビジターセンターでは、写真を撮ったりショートハイキングにでたりと、思い思いに過ごしました。残念ながらマッキンリー山は雲の中でしたが、日本では見ることのできない大きなスケールの山岳風景に皆見入っていました。ちょうど高山植物は花盛りで、トレイルの周囲には色とりどりの花が咲いていました。



 デナリ国立公園見学の後、ホテルが立ち並ぶエリアにあるピザレストランで夕食。アメリカらしい、豪快なピザをいただきました。一人2枚の計算で注文してありましたが足りず、追加したピザも完食。胃袋の若さを見た夕食でした(S)。

 



 アラスカ大学で行われる英語コミュニケーションの授業は非常に実践的なカリキュラムが組まれています。今日は市バスにのってフェアバンクスのダウンタウンへ移動し、そこで教員に指定されたお店に入って買い物や質問をする課題が与えられました。滞在6日目になると度胸がついてきたようで、学生たちは店員や市民、観光客との会話に、楽しみながら挑戦したようです。

 午後はそのままダウンタウンに残り、モリス・トンプソンビジターセンターを見学しました。ここでは名古屋に留学経験があり、日本語の話せる職員のエドさんから様々な説明を受けました。このセンターでは見学のほか、アラスカ先住民族によるダンスショーに参加しました。アサバスカンインディアンやイヌピアックエスキモーのダンスのほか、西洋人との接触の後に生まれた新しいダンスも披露され、学生たちもその中に入り、ダンスに挑戦しました。

 出発して1週間、最初は英語を口にすることが難しそうだった学生たちも、英語で話しかけたりダンスに参加するなど、次第に積極的になってきています。明日は滞在のハイライトであるデナリ国立公園の野外巡検にでかけます。(S)

 


 

 環境開発実習の特徴のひとつとして、多くの野外巡検(見学旅行)があります。今日は朝から夕方までの時間をフルに使った野外巡検を行いました。
 フェアバンクス市内からバスで約1時間かかるポーカーフラットが1か所目の見学地、ここには大学付属施設として非常にユニークな、ロケット発射場があります。施設内で行われた座学では、冬の間に数回の観測用ロケットを打ち上げており、オーロラの研究などが行われていることが説明されました。その後屋外にでて、発射場の施設を見学しました。黒いすすの痕がついているロケット発射台は、もとは軍用だったものを転用しているとのこと。夏の間はメンテナンスが行われており、今日もNASAの技術者が作業中でした。打ち上げたロケットの残骸は、GPSである程度の落下位置を特定した後、ヘリコプターで捜索して回収するそうです。

ロケット発射台の説明を受ける 

 午後はアラスカ最大の金鉱山であるFort Nox鉱山の見学。その前に少し時間があったので、Chatanikaにある昔の金採掘の痕を見に行きました。大規模なドレッジ(浚渫船)が、掘り下げた後に残る人造湖の上に浮かんで残されており、その周囲はズリ山に囲まれています。1928-1958年に操業していた金採掘の名残で、大規模な機械に圧倒されます。現在の金の採掘対象は、砂利の堆積した地層から岩盤へと変わり、巨大な露天掘りによって進められています。フォートノックス金鉱山はそのひとつで、巨大なダンプカーがアリに見えるほど広大な敷地で運営されています。見学では、露天掘りの様子と採掘した鉱石を粉砕する、コーヒーミルのお化けのような施設を見学しました。最後に金の延べ棒をひとりづつ持たせてもらいました。

 


 最後に、アラスカの石油パイプラインを見学しました。北極海沿岸で発見された油田の町プルドーベイから太平洋の不凍港バルディーズまで、全長約1,300kmを結ぶパイプラインで、極北の永久凍土帯を通すための様々な工夫が凝らされています。例えばパイプラインを支える土台部分には、冷たさを効率よく伝えるヒートパイプが埋設され、永久凍土層が融けないようになっています。またパイプはジグザグに配置され、パイプの熱膨張や、地震による変形を受け止めるように工夫されています。

 フェアバンクスの町は、ゴールドラッシュをきっかけに作られ、石油開発によって発展を遂げました。鉱物資源がどのように採掘されて地域経済を支えてきたのか、その歴史に思いをはせることができた巡検でした。(S)

風向きが変わり、昨日に比べて空気がずいぶんきれいになりました。

 今日午後の講義は、アラスカの先住民族がテーマ。北極圏の先住民族ではエスキモーが有名ですが、実に9つの少数民族(分け方によってはさらに細かくなりますが)が独自の文化を維持しているのがアラスカです。彼らの顔は日本人とよく似ており、親近感を感じますが、それもそのはず、約1ー2万年前にはユーラシア大陸で同じ文化を分け合った仲間なのです。そのためか日本とも文化に共通点があり、いっぽう極寒の地で生きる様々な工夫もあります。

 講義の後に見学したアラスカ大学付属博物館(Museum of North)には、学んだばかりの先住民族に関する展示のほか、マンモスなどの化石やアラスカの自然に関する展示が詰まっています。特別に研究室や標本調整室、標本庫を見学させていただきました。この博物館は展示だけではなく、アラスカに関する様々な資料を集め、整理して研究に供する重要な役割を担っています。見学の最後には、骨格標本やはく製などを触ることができました。アラスカの自然や先住民の文化を丁寧に記録し、残していくことが大学博物館の役割なのだと学んだ一日でした。(S)


 



原野火災の影響

 昨日とは違って日が差さない一日、外は視界が悪く、空気はたき火のような匂いで満たされています。夏のアラスカでよく発生する、原野火災の煙です。この煙で、今日の予定は大きく変更になりました。

 講義では、付属博物館のアレン先生から、アラスカの哺乳類についてのレクチャーを受けました。グリズリーやムース、カリブーなど聞いたことがある動物だけでなく、オオカミやコヨーテ、リンクス(ヤマネコ)やマーモットなど、日本では知られていない動物の生態を、ビデオや骨格標本、毛皮を使って説明してくださいました。最後に標本を触る時間が設けられ、種類によって毛の手触りや構造が違うことを確かめました。

 

講義の後に予定されていた大型動物実験施設の見学は、原野火災(WildFire)の煙で中止になりました。この火災はどのような状況になっているのでしょうか。広大なアラスカには、針葉樹の大森林地帯が広がっています。寒さに耐えるため油を含む針葉樹は燃えやすく、雷で簡単に着火します。また、火災の多かった2005年から10年間が経過し、燃料となる葉や枝なども溜まっていたようです。火災は気温が高く乾燥した年ほど増える傾向にあり、今年はその条件にぴったりはまった夏になりました。
 火災はフェアバンクスの近くには少なく、西側の広大な森林地帯であるユーコンフラット(Yukon flat)で主に発生しています。この火災の煙が西向きの風で運ばれてフェアバンクスを覆い、さらにアメリカ本土にまで到達しているようです。日本では考えられないようなスケールで発生する原野火災もまた、アラスカの自然の一部です。

幸いなことに、明日からしばらくは風向きが変わり、青空ときれいな空気が戻りそうです。(F,S)










今朝から英語コミュニケーションの授業が始まりました。今年もお世話になっているDaff先生とKim先生の教室にわかれ、15名の少人数で受講します。Daff先生のクラスでは円卓になり、英語で会話する練習からスタート。Kim先生の教室でも英語を使うことから始まりました。これからフェアバンクスの町にでて市民とコミュニケーションをとる、実践的な講義が行われます。学生たちは、まだ英語をしゃべることに不慣れなようですが、次第に慣れて、自信をつけてくれるはずです。

Kim先生のクラス








午後からは、アラスカに関する専門講義が始まりました。1回目の今日は、Okuno先生による「Natural history of Akaska」、アラスカの気候、地形、動物や植物について学びました。その後Okuno先生と大学構内の森にハイキングへ。寒冷なアラスカでは、日本では高山植物として知られるゴゼンタチバナやイソツツジなどの植物を、平地で見ることができます。また針葉樹と広葉樹の種類と区別の方法や、森林火災を見越して最も高いところに後にしょうじる遷移など、アラスカの森林の基本を実地で学びました。

明日も引き続き、英語の講義と専門講義が予定されています。(S)

 




 初日の朝を迎えました。目的地に着いた興奮と時差、そして疲れで、寝た人も寝られなかった人もいたようです。雨は降っていませんが煙がただよい、視界のやや悪い天気です。視界を遮った煙は、アラスカの各地で燃えている森林火災の煙です。今年は天気の良い日が続き、乾燥して着火しやすくなっているようです。
 Alaska Fire Serviceが発表した今日の火災発生分布図です。既に6月以来の焼失面積は200万エーカー(約80万ヘクタール)に達していて、2004年以来最悪の状態です。この分布でもフェアバンクス近郊で数多く火災が発生しているのが分かります。 こうしたWildFireの発生原因は主に落雷のためです。 今年は6月の降水量が少なく森林は乾燥していました。 自然発生の火災はなにも全てが悪ではありません。
 火災によって古い森が焼失すると
その後に新しい森に変わる森林更新が起こります。しかし、自然発生以外に人為で火災が発生すると再生バランスが崩れてしまいます。 また火災が拡大すると集落に延焼したり、インフラへの被害が発生します。下の写真はアンカレッジ近郊のWillowで発生した火災です。 そこでは懸命の抑制活動が続いています。 

 朝食を学生会館のWood center」でいただきました。マフィン、フルーツ、ポテト、卵などなかなかのボリュームです。初日はオリエンテーション。まず英語を担当されるDaff先生とKim先生が紹介されました。次に私たちを受け入れているサマーセッション事務局から来たAlida(アライダ)さんより、アラスカ州についての説明がありました。その後、UAFの学生の案内でキャンパスツアーへ。図書館や体育館など、滞在中に使うことができる施設を中心に歩きました。

 オリエンテーション

その後キャンパスをでてバスで市内へ。ダウンタウンのエスキモー像や犬ぞりレース「ユーコンクエスト」の記念館を見たのち、大型スーパーのフレッドマイヤーへ。ここで飲料水や洗剤など滞在に必要なものを買い出し。おみやげを買った人もいたようです。夕方になると煙が消え、きれいな晴れの天気になりました。大学寮のそばにあるモニュメントで記念撮影し、初日が終わりました。(S)

ダウンタウンのエスキモー像 


アラスカ大学に到着

7月5日未明の0:30、フェアバンクス空港に着陸しました。シアトルを出発した時は夜でしたが、アラスカに近づくにつれて明るくなり、フェアバンクスは日本の夏の夕方のような明るさです。白夜の明るさに学生たちは驚いた様子でした。
 夜遅い時間に待機してくださったアラスカ大学のスタッフと合流し、大学の寮へ到着したのは午前1時半。長い7月4日がようやく終わりました。(S)

アラスカ大学の学生寮に到着

 3回目となる環境開発実習ですが、今回初めての岡山空港出発になりました。空港に到着すると、懐かしい顔が。社会人1年生の一期生2名が、わざわざ空港まで見送りに来てくれました。彼女たちからは、アラスカ大のスタッフへの手紙を預かりました。こうして卒業生とアラスカの交流が続いていることは、本学にとって本当に大きな宝物です。

 岡山空港の待合室では、出発を前にして全員元気そのもの。ただし、全員マスク着用です。ソウル経由ということは、どうしても流行しているMERSに気を使わざるを得ません。ところがソウル空港に到着してみると。。。ほとんど誰もマスクをつけていませんでした。拍子抜けしましたが、我々はもちろん気を抜かず、マスクを着け続けました。
 ソウル空港では、3月に本学を退職された福田先生と合流しました。現在は札幌のご自宅にいらっしゃいますが、この実習のため予定を開けてくださいました。

ソウル・インチョン空港にて 待ちくたびれました

 長い待ち時間の後、大韓航空のシアトル行に搭乗。約9時間のフライトを経て、現地時間4日13:00(日本時間5日5:00)、シアトルに到着しました。ここでもまた、8時間と長い待ち時間があります。その間は、広いターミナルを見学したり、フードコートで食事をとるなど、それぞれ楽しんでいるようです。アラスカ到着は現地時間深夜0:15.フェアバンクスまであと少しです(S)。

シアトル空港のフードコートにて シアトル空港のフードコートにて

今年もアラスカ実習(環境開発実習)が始まりました。この講義では、米国アラスカ州フェアバンクスにあるアラスカ大学フェアバンクス校(UAF)に2週間滞在し、UAFの講師陣による語学や専門講義を受講し、豊富な野外巡検によってアラスカの自然や文化を体験するプログラムを組んでいます。

このブログでは、2015年7月4日から19日までの環境開発実習の毎日の様子を、担当教員が報告していきます。学生たちがアラスカで学び、楽しみ、成長していく姿をご覧ください。

さて、アメリカの独立記念日である本日7月4日の朝6時半、稲垣学長をはじめとする教職員や学生達のお見送りを受ける中、受講生29名が福山を出発しました。今年は岡山空港からソウル・インチョン空港とシアトル空港で乗り継ぎ、アラスカを目指します。フェアバンクス到着は現地時間5日未明(日本時間5日夕方5時)。約30時間の長い移動が始まりました。次のレポートは明日のお昼頃、シアトル空港からお送りします(S)。

お見送りの中、福山市立大学を出発しました

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