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学長の式辞

2017年度 学位記授与式式辞

(実施:2018年3月23日)

学位記授与式式辞

 ここに学位授与された,教育学部と都市経営学部,大学院教育学研究科と都市経営学研究科,計250名のみなさん,おめでとうございます。
また,みなさんを支えてこられましたご家族はじめ関係者の方々に,心よりお祝い申し上げます。
本日はご多忙中にもかかわらず,福山市長 枝広直幹様,福山市議会議長 小川眞和様をはじめ,各界ご来賓の方々にご臨席を賜り,心より御礼申し上げます。

 私は2011年の開学以来福山市立大学に在職しています。本日卒業を迎えられたみなさんの在学期間は何年でしょうか?いちばん短い方は大学院2年間です。いちばん長い方は学部と大学院を通して,私と同じ7年間です。期間の違いはあっても,私は福山市立大学でみなさんとともに過ごすことができ,幸運でした。きょうのみなさんの晴れがましい姿を見て,改めてそのことを感じています。

 みなさんはいかがでしょうか?福山市立大学に入り勉学できたことを幸運だったと感じていますか?「心からよかった」と思いますか?

 もちろん,よかったという内容は,みなさん一人ひとり違っていいのです。
「私は尊敬できる先生と出会いました。」
「私は生涯の友ができました。」
「私はもっと研究を続けたいテーマを発見しました。」
「地域の方と知り合いになりこの地で働こうと思いました。」
「実習先の子どもたちがかわいくて幸せでした。」

 このようにみなさん一人ひとり違うのですが,よかったと思えることには何か共通するところがあります。それはいったい何でしょうか?そのことについて,少し考えてみたいと思います。

 みなさんは,ふだん歩き始めるとき,はじめの一歩は右足ですか,左足ですか? 私は時折そういうことが気になります。残念ながらまだその研究には取りかかれていませんが,面白そうではありませんか?

 さて歩き始めは右足か左足かという問いですが,個人の中では定まっているのでしょうか?つまりほとんど右足から歩き始める人と左足から歩き始める人がいるというように。右足から踏み出す人と左足から踏み出す人と分かれるとしたら,それは性格の違いを表しているのでしょうか?男女の違いがあるのでしょうか?大人と子どもでは違うのでしょうか? 
問いに答えようとするとき,無数の仮説が生まれ法則性の探究が始まります。大学は,問いの多様性と答えの多様性を追求しています。問いの多様性は教養の広さから生まれます。答えの多様性は専門性の深さから生まれます。大学で教養と専門を学ぶことを通して,みなさんは問いと答えの多様性を知ったことと思います。

 ところで,人が歩き始めるとき右足か左足かという問いに戻りますが,その研究に意味があるのでしょうか?それがわかったところで何かの役に立つのでしょうか?実のところ,研究を始める前に役に立つかどうかはなんとも言えません。正確に言えば役に立つかどうかは誰にもわからないのです。もしいつも左足から歩き始める人が突然右足から歩き始めるようになったら,それは何か病気の徴候かもしれません。もし義足を必要とする障がい者の方がいらしてできるだけ負荷を軽くしたいというようなとき,歩き始めがどちらかとの関係が重要になるかもしれません。しかし,そうしたことは別の学問や科学技術の発展を待って結びつきが生まれます。大学は,もちろん実用性を尊重します。尊重するからこそ,いますぐに役に立つかどうかということだけで研究の善し悪しを即断することはありません。

 みなさんは,こういう多様な問いと多様な答えが絶えず行き交う大学に身を置いてきました。その中で少しでもあなたの特長や個性を発見できましたか,それを聞きたかったのです。もし予測不能な言動をする先生に対して,あなたがその先生を不思議に思い,面白いと思い,そして憧れるようになったとしたら,それはあなた自身の中に眠っていたあなた自身の素晴らしさに気づいたということになります。なぜなら,その先生の素晴らしさに気づいたのはあなた自身なのですから。

 ここで,もう一つ話を加えさせてください。「ブリタンのロバ」という話です。これは逸話なので紹介のされ方は様々です。「腹を空かせたロバが道を歩いていたところ,2つの同じ枯れ草の束が道の左右等距離のところにあるのを見つけた。ロバは左右どちらにも動くことができず,そのまま死んでしまう」という話です。かつて動物の行動は「刺激-反応」という図式の中で考えられていました。その図式によれば,同一の刺激が反対方向から与えられるので,どちらの干し草に向かっても動けずに死んでしまうという理屈です。これは理論上の想定で,じっさいまったく同一の枯れ草の束などありえず,ロバが死ぬこともないでしょう。ここはあくまでもそうした状況におかれたとしたらという問題として考えてください。さて,みなさんがロバだとしたらどうしますか? 考えられる答えを紹介してみたいと思います。

その1.とりあえず待ってみる。そのうち風が吹いて枯れ草が飛ばされ,2つの枯れ草の束の量が違ってくるのを待って行動する。
その2.今回はあきらめて通り過ぎて行き,次のチャンスに期待する。
その3.別のロバが通りかかるのを待ち,そのロバに助けてもらう。
その4.ポケットから十円玉を取り出し,裏が出たら右,表が出たら左とあらかじめ決めておいて,硬貨を投げてみる。
その5.2つの干し草を写メでアップし,右と左の「いいね」の数で決める。

 いろいろ出てきますね。じつはここが大切なところです。
右の干し草を食べるか左の干し草を食べるか,これはどちらでもいいことです。さっさとどちらでも食べて空腹を満たしたらよいでしょう。しかし,人間には二つの刺激に挟まれて身動きが取れなくなるというのはよくあることです。そして,そのときこそあれこれ考えてみるという思考が始まるのです。しかもたった一人孤独に思考するのではなく,大勢を巻き込んで楽しく思考する,それが大学ではなかったでしょうか?みなさんは大学でそうした経験を積み重ねてきたはずです。

 これからみなさんが挑む社会は「競争」「効率」「改革」という言葉が飛び交い,知らぬ間に焦りが生まれ,前のめりになりがちな状態にあります。もちろん,みなさんは大学で,すぐに使える専門的知識や技術も習得されたことでしょう。同時に,ときに一歩身をひいて,そうした知識や技術を別の視点,たとえば,地域の持続的発展や人類の福祉というような視点から見るという知恵も磨かれたことと思います。だからこそ大学の経験は役に立ちます。どうか自信と誇りを胸に巣立ってください。

 以上,卒業生するみなさんへの式辞といたします。
今日は,おめでとうございます。

2018年(平成30年)3月23日
福山市立大学 学長 田丸 敏髙

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