福山市立大学
本文へ移動

総合案内

University General Information

学長の式辞

2018年度 入学式式辞

(実施:2018年4月4日)

入学式式辞

 福山市立大学に入学された、教育学部と都市経営学部、教育学研究科と都市経営学研究科、計267名のみなさん、ご入学おめでとうございます。
また、これまでみなさんを支えてこられましたご家族はじめ関係者の方々に、お祝い申し上げます。
本日はたいへんご多忙な中、福山市長 枝広直幹様、福山市議会議長 小川眞和様をはじめ、ご来賓の方々にご臨席を賜り、心より御礼申し上げます。

 福山市立大学は、2011年に全国で81番目の公立大学として誕生しました。そして、いま7年が経過し、今年も全国各地からみなさんをお迎えすることができました。

 2017年度文部科学省統計資料によると、わが国の大学は780校にのぼります。このうち、国立が86校、公立が90校、そして私立が604校です。学生数は、2,890,880人で、前年度より17,256人増加しています。大学進学率は49.6%で、短大や専門学校を含む高等教育機関進学率は80.6%となり過去最高ということです。

 歴史を遡ると、13世紀初頭イタリアのボローニャ、フランスのパリ、イングランドのオックスフォードに大学が誕生しました。歴史を振り返れば、ヨーロッパにおける大学設立の基礎には都市という地域社会の発展がありました。近年わが国では公立大学が急増し、学校数の上では国立を上回るようになりました。福山市立大学は、設置者である福山市の発展とともに生まれ育った大学であり、それは大学本来の姿を示していると言えましょう。

 ところで、大学とはいったい何でしょうか?教育基本法第7条では、次のように謳われています。「大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。」今日からみなさんは、こうした大学の一員となりました。したがって、みなさんは「高い教養と専門的能力」の習得を目指すことになります。大学受験を突破したばかりなのにまた勉強ですかと、みなさんは言いたいかもしれません。残念ながら、その通りなのです。ただし、これからの勉強は学力を競い合う受験勉強ではありません。真理を探究し、社会の発展に寄与するための勉強です。私たちはこれを学問と呼んでいます。

 大学は、学問の府です。では、学問とは何でしょうか?学問の「問」は正門や裏門というときの「門」ではありません。「問い」です。みなさんは大学入学に際してどのような問いを抱いていますか?問いに上下はありません。どのような問いでも、それを問い続けていく過程で広くて深い問いに至ります。たとえば、福山市の人口は何人でしょうか?こうした問いは小学生でも持つことがあります。小学生は事典で調べたり、市役所に聞きに行ったり、あるいは福山市のホームページを見たりすることでしょう。そして、2018年2月末現在で470,106人ということを知るでしょう。小学生ならばそれで納得するかもしれませんが、大学生のみなさんはいかがでしょうか?人口は日々変動しているはずですが、それをどのようにして確定するのでしょうか?みなさんは福山市の大学生となりましたが、それは統計上に反映されるのでしょうか?福山市が市制を施行したのが1916年で、そのときの人口は32,356人と言われています。では、3万人あまりから47万人へ、どうして人口が増えたのでしょうか?また、人口増加にしても、右肩上がりし続けるわけではありません。その過程には戦争や被災などさまざまな苦難の歴史もありました。福山市は1984年に平和非核都市宣言をしていますが、それはなぜでしょうか?さらに、人口と地域の発展との間にはどのような関係があるのでしょうか?みなさんがこれから学ぶ児童教育学や都市経営学は、地域の発展にどのように貢献するのでしょうか?こうして次から次へと生まれる問いに対して、学術的な方法を持って答えようとするところに学問が生まれます。

 私はこれまで発達心理学の研究をしてきましたが、ある問いを持ち続けています。人以外の動物では、生まれた直後から立ち、自分で移動できるものが多い。ところが、人は生まれたとき無力であり、立ったり歩いたりすることはできません。赤ちゃんは乳を飲むときも抱っこされ姿勢を変えてもらわなければなりませんし、授乳の後もげっぷが出るように背中を軽くたたいてもらわなければなりません。眠るときも、揺すってもらう必要があります。何をするにも親など大人の手を借りる必要があります。人にはなぜ無力な子ども時代が必要だったのか?これが私の「問い」です。私は研究を通じて、「一人ではできない、だから他人に頼らざるを得ない」ということに発達上の価値を見出しました。人は一人で何でもできるようになるという方向にではなく、必要な場合は人に頼るという方向に発達していきます。そして、無邪気な笑顔と澄んだ目に始まり、喜怒哀楽の感情を発達させ、その表現を工夫する等コミュニケーションの方法を洗練させていきます。やがて、それが言葉の獲得を促し、文化を学習することに繫がるのでしょう。これらを一般化すると、人が進化し、人間社会が進歩してきたのは、人には無力な子ども時代があったからということにならないでしょうか。

 みなさんは、長い箸という話を聞いたことがありますか?概要は次の通りです。
えんま大王が地獄と天国の食事場面を見せてくれました。どちらも食事の時は長い箸を使って食べるのが決まりです。
地獄の人々は長い箸で、なべの中のごちそうをとって食べようとするのですが、あまりに長いので、どうしても自分の口にごちそうがとどきません。それでみんな、何も食べられずおなかをすかせ、やせこけて、他の人の食べ物を横取りしようとしてけんかばかりしていました。
天国でも人々は、地獄と同じ、長い箸をもってなべの前にあつまり、しかし、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていました。長い箸で、人の口にごちそうを運びあっているのです。

 私はこの話から何か教訓を引き出そうとするものではありません。そうではなく、この話を、人間の本質を示すものとして受けとめています。つまり、人は他人を生かすことを通じて、自分を生かすことができると。そして、一人ではできないことには、子どものみならず、大人においても重要な意味があり、価値があるということです。

 大学は教師と学生とが集まり自律的に運営するところから始まりました。いま大学は多様な研究者や市民に開かれたところに発展しようとしています。本学は、知の伝達、知の創造、知の発信をミッションとしています。きょう本学に入学されたみなさん、みなさんは学生であると同時に、児童教育学や都市経営学の研究集団の一員です。問いが生まれ、多様な答えに至る道筋をいっしょに考えあう仲間です。謙虚に学ぶと同時に、大胆な問いを育み、充実した大学生活を送ってください。

 以上、新入生のみなさんへの式辞といたします。

2018年(平成30年)4月4日
福山市立大学 学長 田丸 敏髙

学長の式辞

このページのトップへ