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学長の式辞

2026年度 入学式式辞

(実施:2026年4月4日)

入学式式辞

2026年度入学式式辞

 福山市立大学に入学された、教育学部108人、都市経営学部160人、大学院教育学研究科4人、都市経学研究科3人、合わせて275人の皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。これまで皆さんを支えてこられましたご家族をはじめ関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。

 また、本日は、大変ご多忙な中、福山市長 枝広 直幹 様、福山市議会 議長 今岡 芳徳 様をはじめ、ご臨席いただいた 来賓の方々に、心より御礼申し上げます。

 「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」。有名な鴨長明の『方丈記』の冒頭の一文です。平安末期から鎌倉初期にかけて、幾多の天変地異や戦乱を目の当たりにした鴨長明は、絶えず流れゆく川の水を見て、世の中に変化しないものは無い、すべては移りゆくのだ、といういわゆる「無常」を感じました。

 中国古代の思想家である孔子も、やはり川のほとりで水の流れを見て「逝く者は斯くの如きか。昼夜を舎めず」(過ぎ去って帰らぬものは、この川の水とおなじなのであろうか。昼も夜も休むことなく移ろってゆく)と言いました。「川上の嘆」として有名な言葉です。

 さて、この孔子の言葉には、鴨長明が感じたのと同じような思い、つまり人としてこの世に生まれてからは、決してとどまることなく絶えず過ぎ去ってゆくものなのであると、むなしく老いてゆく我が身の嘆きが込められているというのが一つの解釈です。

 しかし、全く別の解釈もなされています。川の流れは絶えることなく流れ続けている。それは無限の連続であり、そこには無限の発展の可能性もあるのだ、という見方です。我が国の江戸時代の儒学者である伊藤仁斎が「日びに新たにして息わざること、川の流れの混混として已まざるがごときを言う」と同様の解釈をしています。

 今、私たちを取り巻く世界の状況を見てみましょう。中東やウクライナをはじめ世界の各地で戦争や紛争が続き、子どもたちを含めたかけがえのない命が失われています。また、AI技術の凄まじい進歩によって私たちの生活環境も大きく変わらざるを得なくなっています。

 皆さんは今、流れゆく川の水を目にした時、何を思うでしょうか?人生のはかなさ、無常を感じることもあるでしょう。しかし一方で、絶えることのない川のせせらぎに心を澄ませば、伊藤仁斎が言うように、未来へとつながる限りない「希望」を感じることもできるはずです。

 今日、皆さんは福山市立大学・大学院の学生となりました。これからの大学生活の中では、正解のない難題に直面しなければならないこともあると思います。時には落ち込んだり、挫折したりするかもしれません。そんな時こそ、あきらめずに希望を持ち続けてほしいのです。

 大学での学びは、高校までの学習と違って教科書や先生の言説をうのみにするのではなく、まず自分の頭でしっかりと考えることが大切になります。生成AIやSNSの普及でフェイクニュースが氾濫しているだけに、情報の真偽を見極める眼力を持って、日々新しい何かを見つけてください。

 福山市立大学には、地元福山はもちろんのこと、全国各地から集った学生、海外からの留学生もいます。高度な専門知識を持つとともに「面倒見」の良い先生方、皆さんの大学生活を支える職員、そして皆さんの良き相談相手となってくれる先輩たちも頼りになります。来年四月には三番目の学部となる情報工学部(仮称)が開設され、新たな仲間も加わる予定です。

 先ほど、流れ行く水についてお話をしました。尾道市瀬戸田出身の日本画家、平山郁夫先生にこんなエピソードがあります。中学差三年生の時に広島で被爆した平山先生は、29歳のころ原爆の後遺症で体調を崩し、創作面でも行き詰っていました。そんな時、芸大の学生を引率して青森県の奥入瀬渓流を訪れました。「苦しみ抜いて、ようやく歩き通した末に見た景色は五月のさわやかな風に包まれて、私に生きる喜びを心から教えてくれた」と回想しています。

 そして、その思いを作品に残すことを決意し、それから35年後に六曲一双の大作として完成させたのでした。その作品の題が「流水 間断無し」です。

 どうか入学生の皆さん、希望を持ち続けながら学び、同時に瞬間瞬間を精一杯生きてください。皆さん一人一人の大いなる成長を心から期待して、私の式辞と致します。

 あらためて、おめでとうございます。


2026年(令和8年)4月4日
福山市立大学 学長 佐藤 利行

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