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学長の式辞
(実施:2025年4月4日)
福山市立大学に入学された、教育学部105人、都市経営学部159人、大学院教育学研究科2人、都市経営学研究科2人、合わせて268人の皆さん、ご入学まことにおめでとうございます。これまで皆さんを支えてこられましたご家族をはじめ関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
また、本日は、大変ご多忙な中、福山市長 枝広直幹 様、福山市議会 議長 今岡芳徳様をはじめとして、ご臨席を賜り、心より御礼申し上げます。
さて、今日の世界の状況を見てみると、我々の想像を超える速さで変容し、不確実性がますます高まっているように感じられます。
こうした困難に向き合わざるを得ない私たちは、学問の意義を改めて問い直さなければなりません。なぜ大学で学ぶのか? 学ぶとはどういうことなのか? 学びがどのように役立つのか? こうした問いに対する答えを、皆さんにはこれからの大学・大学院の生活の中で見つけてもらいたいと思います。
日本の思想家であり武道家でもある内田樹(うちだたつる)氏は、「無知」について次のように言っています。
無知というのは、単に知識が欠けているということではない。そうではなくて、無用の知識が頭に詰まっているせいで、新しい情報入力ができない状態のことを「無知」と呼ぶのである。これはロラン・バルトの定義である。私もその通りだと思う。
ロラン・バルトは20世紀を代表するフランスの思想家です。ロラン・バルトの定義を踏まえて内田氏は、「無知」を「ジャンクな情報で頭がぎっしり詰まっていて、新しい入力が阻害されている状態」と言い換えています。
恐らく皆さんは、これまでの生活の中で、多くの知識を身につけてきたと思います。その中には、少なからずジャンクな情報も含まれているはずです。すべてが役に立っているのか、改めて考えてみることも必要ではないでしょうか。これまで得た多くの知識や情報の中から本当に重要なものだけを残すために、いったん頭を空っぽにしてみることが必要かもれません。
ところで、福山市立大学は「知は明日を開く」をコンセプトに掲げています。校章も「知」をデザインとしています。そもそも「知る」ということは、どういうことなのでしょうか? 私は長く中国古典文学を研究してきましたので、中国古代の思想家である孔子の言葉をヒントに考えてみたいと思います。
之れを知るを之れを知ると為し、知らざるを知らずと為す。是れ知るなり。
すなわち、自分が知っていることは知っているとし、知らないことは知らないとはっきり認めること。これが本当に「知る」ということである、と孔子は言うのです。
我々はふだんの生活の中で、よく分かっていないことを分かっているようなふりをしたり、詳しく認識していないことなのに、知ったかぶりをしたりすることがよくあります。孔子は「知る」ということを、認識しえたものを知るだけでなく、認識の外にあるものを知らないとすること、これをはっきりとわきまえることが大切であると言うのです。
今日、皆さんはスマホさえ有れば、あらゆる情報を瞬時に得ることができます。いわば情報過多の時代です。こうした中で、何が正しい情報なのか、何が今の、そして将来の自分に必要なものなのかを、「知」と「無知」の意味とともに、よく考えていただきたいと思います。
福山市立大学では、学習、研究をするための環境が整っています。高度な専門知識を持った先生方、皆さんの学びを支援する職員、そして皆さんの良き相談相手となってくれる先輩たち。北は北海道から南は沖縄まで全国各地から集まった学生や、中国・韓国からの留学生も学んでいます。また、地元福山の行政や企業の方々からの力強いご支援もいただいています。
ご承知のように、5月18日から福山市で開幕する「第20回世界バラ会議福山大会」には、世界各国からバラ愛好家や専門家たちが集います。ぜひ、皆さんもさまざまなイベントを通じて、国内外からの参加者と交流していただければと願っています。
新入生の皆さん、どうか福山市立大学で積極的に学び、多くの知を身に付けてください。もちろん、時には頭を空っぽにすることも忘れないように。皆さん一人一人の大いなる成長を期待して、私の式辞と致します。
2025年(令和7年)4月4日
福山市立大学 学長 佐藤 利行