福山市立大学
本文へ移動

総合案内

University General Information

学長の式辞

2023年度 入学式式辞

(実施:2023年4月4日)

入学式式辞

 福山市立大学に入学された、教育学部104人、都市経営学部170人、大学院教育学研究科3人、合わせて272人の皆さん、ご入学誠におめでとうございます。これまで皆さんを支えてこられましたご家族をはじめ関係者の皆様にも、心よりお祝い申し上げます。
 また、本日は、大変ご多忙な中、福山市長 枝広直幹 様にご臨席を賜り、心より御礼申し上げます。

 さて、2019年末頃から始まった新型コロナウイルスの感染拡大、現在も続いているロシアによるウクライナ侵攻など、我々が予想も出来なかったことが現実の世界で起こっています。
こうした中、学問の意義を改めて問い直さなければなりません。学問とは何か? 学びの意味は何か? その問いに対する答えの鍵となるのが、中国古代の思想家であり教育者であった孔子の言葉に有ります。孔子の言行録である『論語』には五百近くの孔子の言葉が記録されていますが、『論語』の冒頭に置かれているのが、次の言葉です。
 子曰く、「学びて時に之を習う、亦た説ばしからずや。朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや」と。
 古人の教えを学び、機会あるごとに(その内容を)復習する、なんと悦ばしいことではないか、と孔子は言っています。「学ぶ」とは、これまで知らなかったことを知ること、新たな知識を得ることです。そうして得た知識を折あるごとに復習するのが「習う」の意味です。中国最古の字書である『説文解字』には、「鳥の数しば飛ぶなり」と、鳥が繰り返し飛んで飛翔の技術を体得すること、と説明しています。このように、新たな知見を身に付けることができれば、それはなんと悦ばしいことではないか、と言うのです。

 さて、先月十五日の朝日新聞「天声人語」欄に次のようにありました。
「知る」と「分かる」はどう違うのか。作家の大江健三郎さんは「知る」から「分かる」に進むと、自分で知識を使いこなせるようになると定義した。その先には「悟る」があって、まったく新しい発想が生まれる、と。
 孔子が「学び」「習う」ことを通して心に込み上げてくる嬉しさを得ることができると言ったことを、大江健三郎氏は、「知る」ことから「分かる」段階に進み、そうして「悟る」ことができる、と言っているように思われます。

 新入生の皆さん、どうか今から始まる大学、大学院の生活の中で、大いに学び、知り、習い、分かり、悦び、悟って下さい。福山市立大学では、皆さんが「学ぶ」ための環境が整備されています。教養に溢れ専門知識を持った素晴らしい先生方、皆さんの学びを支援する有能な職員、そうして皆さんの良き相談相手となってくれる優秀な先輩たちがいます。どうか皆さん、福山市立大学で積極的に学び、多くの知見を身に付け、その知見を使いこなせる人になって下さい。皆さんの大いなる成長を期待し、私の式辞と致します。

2023年(令和5年)4月4日
福山市立大学 学長 佐藤 利行

学長の式辞

このページのトップへ